園主の鳥居は、園経営の傍ら「キャリア教育」という分野で今現在も、全国の中学・高校を回り、生徒・教員・保護者に対し「働くこと・学ぶことの意味」「自己肯定感」などについて講演を続けています。
このビデオは2015年の2月に八王子高校のPTA対象に行った話です。私たちにとって最も難しいテーマである「幸せ」を扱っています。
教育の究極的な目的は何でしょうか?「子どもの幸せ」ではないでしょうか?では「幸せ」を得るにはどうしたらいいのでしょうか?そもそも努力して幸せは得られるのでしょうか?一体、教育(幼児教育)には何ができるのでしょうか?そのヒントが語られています。「私はこれが言いたかったのだ!」というエッセンスです。
(×)「幸せ」を結果とする人生
(◎)「幸せ」を原因とする人生
私は大学を卒業して7年間、薬の営業マンをやっていました。当たり前のことながら、
売れたら → 幸せ
売れなかったら → 不幸せ
というサイクルが続きました。私は仕事をすることを愛する人間だったので苦しみました。「仕事をして幸せになることはできないのか」と。
25歳のときでした。悩んで悩んで、本屋さんで救いを求めていたとき1冊の本に出会いました。インドの哲人、クリシュナムルティの著作。さまざまな人との対談集(『生と覚醒のコメンタリー2』)でした。
その中に、ズバリ「仕事」というタイトルの章がありました。
私は真っ先にそこを読みました。
仕事がうまく行っているときには幸せを感じていた政治家がクリシュナムルティに質問します。仕事がうまく進まない今の私は幸せではない。どうしたらいいのか、と。そのときのクリシュナムルティの答えが、講演にあるものです。
あなたは仕事をして幸せなのか?
それとも
幸せであってかつ仕事をするのか?
25歳の私にはピンときませんでした。しかし心の奥深いところでは衝撃を受けていました。だからこの一節を暗記し、この言葉とともに今までやってきました。
あれから25年。今年50歳になる私としては、心の底からクリシュナムルティの言葉がわかります。幸福は追求できない、追求するものではない、と。
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