夏見台幼稚園の教育目標は「楽しい!うれしい!やってみたい!」。数ある教育目標の中から私たちは子ども自身の「意欲」のあり方にフォーカスしました。
勉強においても、運動においても、人との交流においてもそのベースは「意欲」です。考え続ける意欲、動き続ける意欲、理解しよう・伝えようとする意欲。幼児期に育むべきなのはまず意欲だと私たちは考えます。ところで意欲を育む方法は2つあります。
1.内発的動機づけ
2.外発的動機づけ
私たち夏見台幼稚園が目指すものは、1の内発的動機づけによる意欲です。子ども自身が「楽しい!うれしい!」と感じてやってみたくなる。起点が子どもの中にあります。私たちは遊びを通じて、子どもの内発的な意欲を育みたいのです。しかしもうひとつの方法があります。
「ごほうびを用意してやらせる」
「競い合わせてやらせる」
「ほめまくってやらせる」
これを外発的動機づけといいます。確かに人生は外的要因に刺激されます。
「試験があるから勉強する」
「○○の報酬をくれるならする」
これはこれで、確かに現実的なことです。ただ、行動の起点が外にあると私たちはつねに外的要因に振り回されます。受験が終わったら勉強しなくなる大学生のようなものです。厳しい担任が変わった途端荒れだす生徒のようなものです。
大切なことは行動の起点を自分の「内」に持つことです。幼児期に自主性を育む意味がここにあります。だから私たちは、幼児期の遊びを通じて子どもの内発的な意欲を育みたいと考えているのです。
【↓夏見台幼稚園・保育園の教育方針】
ここで、南部愛子名誉園長(兼任トレポンテ駅前保育園園長)の子育てセミナーでのコメントをごらんください。給食を食べる前の「いただきます!」という号令についてのこだわりです。
一般に、「いただきます!」の号令はつねに全員そろって行うことが常識的でしょう。しかし私たちは少し違う考えを持っています。そしてここに、私たちの教育の哲学が込められているのです。
【↓なぜ一斉に「いただきます!」をしないのか?】
私たちは「集団」を否定しているわけではありません。日本人は集団で動いてもいいのです。チームワーク。むしろこれこそが私たちの強みです。周りのことを思いやる。他者に共感する。こうした日本のよさが世界でも見直されていると思います。
しかしここで強調したいのは「プロセス」です。「結果」は一緒かもしれません。しかしプロセスが違うのです。何も考えずに集団行動するのではなく、自分の頭で考えて、自分自身の選択として集団に参加する。これが集団における「主体性」ではないでしょうか?
ただビデオにあるように、全く一斉にいただきますをしないわけではありません。月1回の「お楽しみ給食」や行事食では全員でいただきますをします。あるいは担任と子どもたちとの雰囲気で「今日はみんなで一緒に『いただきます』しようか!」ということもあるでしょう。「とにかくまずは集団」というあり方に疑問を感じる保育。それが夏見台の保育である、ということです。
「集団」(学校)に入る前に、「個」を育てたい。自分の頭で考え行動できる子どもを育てたい。そのために、日常の何気ない食事前の慣習にも、私たちはこだわります。
ところで、幼児教育での中心的な活動が「遊び」です。遊びの中で子どもは「主体性」の芽を育んでいきます。そのカギが、「自己原因性」の感覚です。
子どもの自己肯定感を育みたいと思います。しかしその根っこにあるもの、それが
自己原因性
です。これは心理学者のド・シャームが提唱したもので東京大学名誉教授の佐伯胖先生が日本に紹介しました。なんだか耳慣れない言葉ですがこれは、
「自分が変化の原因になりたい!」
という根源的な欲求です。たとえば赤ちゃんがはじめて床をたたく。「パチッ!」と音がする。その音がしたことにびっくりする。自分が環境に働きかけると何か変化が起こった。自分は周りに影響を与えているんだ、という発見です。
そうなるともう赤ちゃんは楽しくて仕方がありません。同じことを何度もくり返します。これが「遊びの品質」です。
この感覚は誰もが持っているものです。私たちはまず、遊びを通じて子ども自身の自己原因性を満たしてあげたいと考えます。
ところがここに問題があります。自己原因性の感覚は先生にもあります。親御さんにもあります。
先生「(子どもに)○○してあげたい!」
親「(子どもに)○○させたい!」
教育・子育てとはいわば自己原因性の綱引きです。双方が自己原因性を満たしたいのです。その結果、大人の自己原因性が勝るとどうなるでしょうか?
「どうせ何をやっても環境は変わらない…」と意欲が低下することがあります。これを学習性無力感といいます。すると、自分が自由に選択できるチャンスが来ても何もやらなくなるのです。無気力。ですから私たちはまず、遊びを通じて子どもの自己原因性を満たしてあげたいと考えています。
【↓遊びを通じて自己原因性を満たす】
先生たちの「声」はあえて「小さい」。はじめて園を訪れた方から「先生たちの声が小さいですね」といわれることがあります。一斉保育主体の園では、先生たちはつねに大きな声で子どもたちに指示を出し続けます。しかし私たちは子どもの「心」を育みたいのです。「聞く力」を育みたいのです。言葉は子どもに「手渡す」ものだと私たちは考えています。
つねに先生が大きな声で指示を出し続けるとどうなるでしょうか?子ども自ら「話を聞こう」という内発的な気持ちが育ちません。「声の大きさ」はときに威圧的です。言葉の「内容」よりも「迫力」が勝ります。
「先生がうるさく言うから、とりあえず聞いたフリをしておこう…」
ということではなく、自分の頭で考えられる子どもを育みたいと考えています。すると以下のビデオ(年長を送る会)のように、きちんと先生の言葉を聞いて、自分の頭で考えて「静かにしよう」
と状況判断するようになります。
【↓年長を送る会】
とはいえ、これは選択の問題です。教育には2つの大きな流れがあります。
大げさにいえば、200年以上前のルソー以来の論争です。「外」から教え込むことがダメだと言っているのではありません。受験勉強のように、やらざるを得ない状況に追い込まれることで得るものはあります。大事なことはいつも、「その人次第」。
ただ、自らの内発的な意欲を育むのは幼児期が最も望ましいと、発達心理学は教えています。私たちもそう考えています。
【↓保護者会にて:内か?外か?】
これはどちらがよいか悪いかという問題ではありません。選択の問題です。私たち夏見台幼稚園は「子どもは内から育む」立場をとっています。
ティーチングは指示・指導が中心になります。とても大切です。ただ「主体性を育む」という観点でみると、コーチングは欠かせません。
小さな子どもには教えるべきルールがたくさんあります。しつけです。ただしつけを「外発的」「強制的」に行ってばかりだと、「心」が育ちません。
子どもが自分の頭で考えるようになってほしい。主体的な心で取り組める子どもになってほしい。そんなときにはコーチングの手法が有効です。
ティーチング:答えを与える
コーチング:答えを引き出す
つまり子どもへの言葉かけを「問いかけ(質問)」中心にするのです。
そこで以下のビデオをご覧ください。「問いかけ」を中心に保育を進めるようすをまとめてあります。根底にあるのは、
子どもの尊厳
を認める姿勢です。子どもの考えを尊重し、断りを入れるときにも「問いかけ」て、本人の承認を得ます。子どもは自分の存在を認めてくれたことを理解し、安心します。基本的信頼感が築かれていきます。
【↓問いかけを主体とした保育】
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