教室の中でボクがやる気を出せないのは、教室の中のできごとのどれをとっても、ボクが原因になることがありえないからです。先生は「できのよい子」の応答だけで授業を進めています。たまにボクを指名するときは、それこそ誰にでも正答できる、とるに足りないことをボクにいわせるためだけです。
でも例外があります。ボクがトボケたことをいったり、フザケたり、となりの女の子にいたずらするときは、みんながこっちを見てくれます。笑ってくれます。おこってくれるのでもいいです。ボクが原因となって人が怒り出すのを見るのも、少なくとも、自分は何かの原因となっていることを確かめられるのです。(『わかるということの意味』より。以下同様) |
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