棡原は昭和43年に近藤先生が有名にした集落です。
急斜面の多い山のため水田がつくれません。住民は畑を耕し、麦・雑穀・野菜を自給自足しました。その食物繊維と重労働が、住民の長寿を支えたのです。同じく棡原を訪れた辨野先生も、ご老人たちの長寿菌の豊富さに驚いています。
しかし村に一本の道路が通り、バスが走り出すと状況は一変。町のスーパーから豊富な食材が流れ込みます。食の欧米化の始まりです。パン、マーガリン、ハム、牛肉…。その結果の短命化です。
私は、この本の中のある地元の方の以下のコメントが印象に残りました。
棡原のイメージは「貧しい粗食と重労働」。食物繊維豊富な食事は見た目が地味です。一般受けしなかったのです。
ときはまさに高度成長期。アメリカに追いつけ追い越せという時代でした。長寿食に慣れた高齢者と中高年以下の世代にはギャップが生まれていたのです。
私はここでもう一度、近藤正二先生の本を読み返しました。そして私なりに、長寿村の要因を整理しました。それは次の4つになります。
①自然環境
②歴史的背景
③村の風習
④村長の命令
まず 「①自然環境」 ですが、棡原のような山間部では米作ができません。雑穀を栽培するしかなかったのです。また道路もない集落では、自分の畑で大量にとれた野菜を食べなければなりません。結果的に、ヘルシーな食生活になります。
「②歴史的背景」 として興味深いのは、平家の落人の子孫の村。三重や兵庫の村の話が出てくるのですが、海の近くで魚をとろうとすると漁民から断られます。
そこで「魚はとりませんからここに住まわせてください」と、塩田や麦の栽培などで生計をたてます。その結果の長命。一方の漁民は、魚との物々交換で得た白米を多食。野菜不足。その結果短命になります。
「③村の風習」 として、三重の遠洋漁業の村の話がでてきます。一般に女性の方が男性よりも長命なのですが、この村は女性の短命が目立ちました。近藤先生が調査すると、この村では亭主の甲斐性ということで、女性に労働をさせませんでした。毎日家々をめぐっては茶飲み話に明けくれます。これが短命の理由でした。
また宮崎の平家落人村の話。なぜかこの村では「かぼちゃを植えるな」という言い伝えがありました。よって野菜不足の短命。
岡山のある村では、短命のはずの男性が、女性とともに長生きしていました。近藤先生が調査に行くと、江戸時代からの習わしで、男女同権が奨励されていたのです。「野菜は女の食べ物だ!」という時代でした。男性は女性と同じように野菜をたくさん食べたため長生きしたのです。
最後の 「④村長の命令」 というのは面白いです。鳥取県の有名な米の産地に長寿村があるという情報が近藤先生に入ります。「米どころに長命なし」を提唱する近藤先生はさっそく出かけます。するとやはり…周りの村々が白米を多食し短命なのに、その村だけ白米を食べていません。その結果長命だったのです。
原因を捜し歩くと…明治時代のある村長が書いた本が見つかりました。「米はぜいたく品なので、お祝いの日に限って食べること」とあります。その教えを律儀に守ってきた村民は、雑穀を常食することで長生きできたというわけです。
以上長々とエピソードを紹介しましたが、私が何を言いたいのかというと、いずれもこれは 「外的要因」 であるということです。長寿村の人たちは、たまたま、与えられたその環境で生きてきたら、結果的に長生きしてしまったというだけなのです。
だから山梨の棡原のように、道路が一本通るという環境変化に影響を受けてしまうわけです。
ここで私は声を大にして言いたいのです。21世紀とは、健康長寿食(食物繊維など)を自らの意志で選ぶ時代だと。それこそが 「食の主体性」 なのです。
以下に続きます。
はじめに
1.血糖値スパイク
2.白砂糖の害
3.ペットボトルか?水筒か?
4.慢性炎症の時代
5.私自身の話
6.腸のバリア機能
7.日本の長寿村・短命村の食事
8.「食の主体性」とは?
9.コオロギはなぜ自殺するのか?
10.我々は操られているのか?
11.腸内細菌と脳の関係
12.あなたのチワワにエサを!
13.園での取り組み
おわりに